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happy life with aroma
~* holistic aroma salon H【a∫】のブログ * ~

命ととなりあわせになったとき~息子の事故振り返り~

朝方から曇っているなぁと思ったら、お昼の早いうちから雨になりました。

朝、今日も大収穫の息子。

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しばらくこの収穫祭りは続きそう。

雨が降り出す直前に施術のお客様。定期的にケアにいらしてくださる素敵な方、
その時その時のテーマに合わせてじっくりゆったりさせていただくので、かなり集中。

間に本降りになってきた雨音と奈緒さんのCD「睡蓮」とのマッチング、
心地よく、さらに木々や草花が恵みの雨を喜ぶような空気感が外から
伝わってきて、お客様の身体と対話しつつ、なんとも幸せな気持ちに。

今日は自分自身の誕生日、そんな日に、こうして
大好きな仕事ができる、そのことに改めて感謝しつつ、
お客様をお見送りさせていただきました。

数日前から私の誕生日の段取りについて、説明しては夫にたしなめられ
そわそわ挙動不審だった息子も今日がマックス。

ひとり家にいたときにお花が届いたり、
くす玉を用意してくれたり、息子なりにものすごく頑張ってくれたようです。

息子セレクトの花のブーケがなかなか素敵でちょっと感心したり。

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夫からはショウガ科の何か。。。

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とリクエストしていた棕櫚箒のニューバージョン。

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先月の息子の誕生日、今月、来月と家族の誕生日は続きますが
改めてこうして穏やかな気持ちで歳を重ねられることに
しみじみと感謝の気持ち。

息子の誕生日の前後で、あれだけの事故、から3ヶ月で私たち家族が
こんな風に穏やかに暮らせていることに、ふと疑問が湧きました。

もちろんあの時、たくさんの皆様の想いや祈りがあってこその今ですが、
それにしてもPTSDがもっと顕著でもおかしくない状況。。。

その時はっと気づいたのが、やっぱり園長先生。

救急搬送中の時に「ずっと息子に話しかけていた」ことは聞いていましたが、
”あの時”しかそのチャンスはなかった。。。そう確信しました。

確信をもって園長先生にお話を伺ったら、やっぱり私が想像していた以上のことを
”あの時”にしていてくれたことが分かりました。

了解を得て、園長先生の言葉をそのまま引用させていただきます。

====
あの日の事は不思議と細かく私の記憶に残っているんです。
すごくゆっくり映像が動く感じで。
とても長くというかきっとすごくGくんにとっても私にとっても
すごくすごく大事な時間で。
Gくんはきっと今起こっているコトとイメージが少しずつ重なりつつある時間を
いろんな感情で整理してたり。
私は一言一言。ひとつひとつの行動。表情。触れ。が意味のあるもので。
そしてそれがとてもとてもGくんにとって大事なコトと私自身時間を感じながら
とっても冷静に保育士、園長をやり続けたようなきがします。

命ととなりあわせになった時、わたしがやるべき事は明確なんです。
====


まだまだ息子が赤ちゃんだったとき、ちょっとしたつまづきや転んだりしたときに
ひとつひとつ、今何が起きたか、その結果どうなったか、をゆっくりと
彼が納得するまで話をしていた、
それは、”その時”しか行うチャンスはない、そう自覚していました。
赤ちゃんが言葉を覚えたり、立ち上がったり、歩いたり、そんな過程で
幾度となく、自分の行動とその結果、アクシデントとその影響、を経験として
理解していく、その過程で自分が納得していくこと、とても大事だと認識していたから。

そんな日常の繰り返しとは比べものにはならないくらいの大きな事故で、
そして救急車の中という緊急の状態の中で、
園長先生はまさにそれを、さらにその後のことも考えて冷静に行動してくれていた、
さらに後日談で、夫のケアも同時にしてくれていた、その事実を知ったとき、
園長先生のプロ意識に鳥肌が立ったのを覚えています。

それからずっと、この言葉は私の心の中で繰り返し思い出しては、
気持ちがふっと空に伸びる感じがしています。

しばらく書けていなかった息子の事故の振り返り、
自分の誕生日だからこそ考える命のこと、
穏やかに暮らせていることに改めて感謝しつつ、綴ってみました。

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SNSやメッセージなど、お祝いの言葉を多数いただいていて本当に嬉しいです。
お返事ゆっくりで恐縮ですが、ひとつひとつのメッセージが今日の雨のように
しっとりと心にしみています。

気持ちを言葉にする、表現する、そのことの大切さ、ありがたさをひしひしと感じています。

素敵な週末をお過ごし下さい。
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力を借りる~息子の事故振り返り~

今日も温かな1日。

ホリスティックケアのお客様でしたが、久しぶりに暖房なしでのトリートメント。
私も気持ちがよかったです♪

チャンピサージでもアロマのトリートメントでも、集中して行っている時の
自分の手の感覚を味わうのが大好きなのですが、
息子の事故のときは、その感覚はまったく別のものになりました。

車椅子で対面して、息子がそのままベッドに横になったのはもう深夜、
すぐに寝息を立てて眠り始めました。

腎臓と肝臓のケアで頭がいっぱいだった私、夫が一時帰宅して戻ってくるまで、
その部分への愉氣を試みましたが、まったく手が入らない、初めての感覚でした。

手が入らないというのは正確ではないかもしれませんが、
身体と手が一体化するような独特な感覚が全くなく、なにも通わない感覚。

それはとても恐ろしい感覚でした。

何もできない。。。そう感じたとき、やっぱり他の力を借りないと今は無理、
そう思いました。

夫と交代で帰宅して、まず手にしたのはヘリクリサムの精油、
そして蒸留したばかりの石菖蒲の蒸留水、カモミールの蒸留水、など、
土鍋でご飯を炊きながら、明日の国分寺でのレジュメと材料の準備をしていました。

主催の吉成さんには、病院へ駆けつける電車の中で連絡をしていて、
「講座のことは考えなくていいから、息子のことに集中して」と
メッセージをいただいていたのがとてもありがたく、私自身も
そのときに本当に講座ができるのかかなり不安だったものの、
とにかく準備だけでも、という思いと、息子が病院にいるあいだ、
私が少し離れる時間があった方がむしろいいのかも、という思いが
不思議とありました。

2時間ほど横になってみましたが、ほとんど眠れず、
炊いた3合のご飯をすべておにぎりにして、朝病院へ。

そこには、一夜開けて、打撲で顔が腫れ上がった息子の姿がありました。

1ミリも目があいておらず、腫れ上がったため鼻は埋もれ、
それでも彼からは目が見えているようで、私の顔を覗き込むように
近づいてきました。

その姿になぜか懐かしい感覚。。。どこかで見た顔。。。そう、
生まれたてのお腹から出てきたばかりの、新生児の時の息子の顔。

その顔を見たとき、、私の体の中で何かがちょっと変化したのを覚えています。
それが何だったか気づいたのは、数日後のことでした。

その後、形成外科の先生が息子の傷の状態と処置の仕方を
教えに来てくれました。

私も初めて息子の傷をみることになります。

変な話ですが、包帯が外され、生々しい傷を見たときに、
私は心の中でガッツポーズをしました。
もちろん傷は深く、治ったとしてもその瘢痕がかなり
残るような深さでしたが、なぜか根拠のない自信がこみ上げてきました。

そして病院の治療方針が、
湿潤法(かさぶたをつくらず浸出液でなおす方法)というのもありがたく、
結局病院から処方されたのは、ワセリンのみ。

さらにそれまでまったく泣かなかった息子が、傷が空気に触れ、
処置をするときの痛みで初めて声をあげて泣きました。
救急搬送されて傷の処置をされているときも泣かずにいたと
看護師さんから聞いてかなり心配していたのですが、

「痛いよー痛いよー先生、なにするんだよー」

泣き叫びながら、暴れて悪態をついている息子をみて、正直ほっとしました。

そんな息子の姿と傷をみながら

「痛いよね、頑張ってるよね、泣いていいよ」と繰り返す声をかけながら
心の中で”国分寺に行こう”、そう決心しました。

枕元のタオルにヘリクリサムを垂らし、ブレンドしたハーブ水で湿らせ、
相変わらず手を充てても通わない自分の感覚を確認して、
息子と夫をハグして、病院をあとにでかけました。

* * *

今日は地元の駅の再開発の最終段階のグランドオープンの日。

夫の帰りが遅かったので、迎えにいった息子と二人、
オープンしたての店舗などを見て回りました。

事故の日はまだまだ日が短くとても寒い日。
小雨も降り出し、救急車を待つ間、見知らぬ人がご自身の傘を置いていってくれました。

日が延びて、温かなこの空気の中で息子の手を握って事故現場の
すぐ近くをウインドウショッピング、なんだか幸せな時間。

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素敵な週末をお過ごし下さい。

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試練の夜~息子の事故振り返り~

昨日に続いて少し振り返りを。

事故現場に居合わせた夫と、駆けつけた園長先生とが乗り合わせ、
息子は救急車で小児救急では有名な病院に搬送されました。

銀座松屋から電車とタクシーで病院に私が駆け付けたときは、
おそらく1時間以上たってからだと思います。

地元の駅まで戻り、タクシーに乗るために、改札を出た私、
タクシーを拾うところと逆の方向に歩いてしまいました。
ふと気づいて引き返そうとしたそのとき、パトカーの光が目に入りました。

まさに息子の事故の現場検証中。。。挨拶するわけにもいかず、
ちらりと横目で状況をみてすぐに引き返しましたが、
そのときも「大丈夫」と心に言い聞かせていました。

病院の救急病棟にたどり着いた時、
携帯電話で状況の連絡を取ってくれている園長先生、
そして憔悴した夫の姿。

「ぜったい大丈夫だから」となぜか言う私。

息子は緊急処置とCTを撮り、まだ処置中で姿はありません。

CTではほぼ問題ないだろうということで、
とにかく脳と内臓のダメージを心配していた私は少し落ち着きましたが、
遠い昔交通事故で数日後に亡くなった友人を思い出し、まだまだ不安。

意識はずっとあるということで恐怖によるダメージも相当なものと予想していました。

しばらくして少し落ち着いた夫から、

「CTの造影剤のサインは緊急だからしたけど、破傷風は待ってもらってるよ」と

云われました。
そうか、破傷風。。。主に外傷、ということでまず破傷風のワクチンを打ってください、
とのことだったようです。

以前も何かのときに書いたと思いますが、
現在のところ息子はワクチンは受けないという選択をしています。

もちろん賛否両論あると思いますし、私自身も絶対受けないというより、
今は受けないというスタンスでここまで来ています。

よくワクチンに関しては個別にご相談を受けることがあるのですが、
その際も「答えは私はわからないし、うけるかうけないかというよりも、
親たちがどういう考えでいるか、納得しているか、そのスタンスをきちんと
話し合うことが大事なのでは」とお伝えしています。

私自身も悩んだ時期もありましたし、あまり頑なになるのも、と思う時もありました。

ただ、今、事故で肝臓や腎臓がダメージを受けているこの状況で
ワクチンは受けさせたくない、というのがその時の気持ち、
一応夫にもそれを伝えたところ、同じ考えだということでした。

もしもこれが海外や見知らぬ土地だったら別の結論を出していたかもしれません。
ただ、いつも転げまわったり、時には口に入ることもある土、
私自身の中には迷いはありませんでした。

まだ息子に会えないまま、医師からのお話、破傷風についての説明、
危険性、最悪の場合の話を夫婦でじっと聴くことになり
内臓のダメージがまだ未知数な時にこの選択をしなければならなかった
この時間は、かなり試練の時でした。

救急措置をしてくださった外科医の方とぶつかるのも不本意で、
説明することは医師としての責務でもあるのです。
それでもやはり、私たちは接種を拒否しました。
この時、夫がきっぱりと言ってくれた言葉を、私は今でもはっきり覚えています。

目の前で我が子がひかれた、この状況で、よく言ったと密かに私は
心の中で感動していました。
同時に、夫の精神的なケアもかなり必要になるなと覚悟をしました。

救急医の方もかなり不満そうではありましたが、結果的には
「何があっても病院や医師を訴えない」という確認書を作成して、
私たちはそこにサインをしました。

車いすに点滴をつけた状態で息子が現れました。

たぶん、何かを話したと思いますが、そこは私は覚えていません。
無事に話をしている姿と、包帯でぐるぐる巻きになった頭の下の傷が
どんな状態なのか、そんな複雑な気持ちでいっぱいでした。

ところが看護士さんに付き添われベッドに向かった息子、
手を洗うことを促され、それを手伝ってくれた看護士さんが
濡れた手で息子にさわろうとしたそのとき、

「ちゃんと手を拭いてから触ってね。冷たいから。」

そう息子が看護士さんにやさしくいいました。

この状況で看護士さんにつっこみをいれている、ある意味
息子らしい姿がそこにありました。

そしてベッドに入った後も、その時期にブームだった、反対言葉を言ったり
しているのをみて、どうやら頭を打ってはいるけれど、
傷は外側に行ったようだと感じました。

息子の姿が見えるまで、園長先生はずっとそばにいてくれて、
以前記事に書いたような、今でも私がよく思い出す言葉の数々を
かけてくれました。
それだけで私たちはどれだけ救われたか、と思っていたのですが、
この時点で息子が、ここに書いたような会話ができるくらい、
かなり自分を取り戻していたのは、実はこれも園長先生のプロフェッショナル
ならではの対応があったからだというのは、私はつい最近気が付きました。

その話はまた後日。。。

ただ、CTに問題はないけれど血尿と肝臓の数値が異常だという事実も
訊かされました。

そのためしばらく入院ということが決定し、入院手続きをしつつ、
夫と交代で一度家に戻り、必要なものを用意することになりました。

この状況をどうみるか、
肝臓と腎臓については、もしかしたら後遺症が残るかも、
かなりシビアな状況も考慮しなくてはならないと思いました。
もちろん私は医師ではありませんが、
頭の中にはやはり、家に帰ったらあれとあれを用意して。。。と
具体的な精油とハーブの種類をかなり考えていました。

同時に、この状況を伝え、冷静にアドバイスをもらえる
信頼している植物療法の先生や仲間たちに連絡をしました。

幸いにもその後明け方に私が家に帰るまでに、返信をくださったので
私も少し客観的に考えることができました。

こういう状況ではありましたが、入院が決まり、
スーツ姿の夫が先に着替えに帰ることになったとき、私は夫に
ご飯を精米して洗ってつけておいて、とお願いしました。

精米して水に浸けておいてくれたら、私が交代して帰って、
土鍋で炊き上げ、おにぎりを作って持ってくることができる、そう考えたからです。

銀座の松屋でお昼休憩でランチを食べてから、何も食べていません。
夫もおそらく同じ状況だったでしょう。

帰りにコンビニに寄ることはできても、そこで食べる食事が、空腹を満たせても
ダメージを受けている私たちを救うとは思えませんでした。

まぁ、そこまで考えられるくらい状況が落ち着いていた、ということでも
ありますが、ここからの長丁場、私たちが何を食べて乗り切るか、
私の意識は、結構そちらにも向いていた気がします。

今日はこんなところで。。。数回位で振り返ろうと思っていたら
ずいぶんと長く。。。まぁ私の記録でもあるので、読んでくれている人がいたら
ごめんなさい。

写真は、トトラボでとってきたハナダイコンの花びらの色素を
今日、息子が、お酢と重曹で三色にしたもの。

記事とはなんら関係ありません。。。(笑)

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取材~息子の事故振り返り~

午後から春の嵐となり、まだ風が吹き荒れています。

午後からの「ケルトの植物」第1回読書会は、とても贅沢な時間となりました。
ご参加いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。
これに関しては、別途記事を分けて書きますね。

アースデイから一夜明けた今朝、保育園である雑誌の取材がありました。

1H程の取材で、この保育園を選んだ理由や、ここで過ごしていて思うことなど
子育てを通しての関わりかたなどについて、だったのですが、
私の中では、息子の事故を避けて、この園を語ることはできないと思っていました。

息子の退院直後のこちらの記事にも多くの反響をいただいていて、
園長先生の言葉にはげまされた、という方のご感想もとても多くありました。

息子が退院した直後の記事 「感謝を込めて」

その後、そろそろ振り返れるかと思ってきたものの、時間的に、心情的に
書けないなぁと思いながら、早3カ月。

この時間が私自身に気づかせてくれたものも沢山ありました。

この記事で書いた、園長先生のプロフェッショナルぶりに改めて気づくことが
数多く、一番緊張が走ったときの 「おかあさん 大丈夫です」 の言葉が
日に一度は思い出されるくらいで、いろんなことに気づけば気づくほど、
この件に関しては、ことに園長先生の顔を見るたびに泣けてくる、という情けない状態。。。

ちょうどそのタイミングであったこの取材。

昨日アースデイ撤収時にちょっとアクシデントがあって、顔に青痰を作ってしまい(笑)、
写真を撮られるのに、さすがに顔に青痰を作っている母親なのはどうかと思い、
おそらく5年以上ぶりに、コンシーラーもどきを使いました。

が、結局取材で事故のことを話しているうちに、コンシーラーは涙で取れ。。。(笑)
慣れないことはしなくていいのだと思いました。

まぁ、相変わらず散文ですが、ご無理なくお付き合いください。

一応過去の記事についても息子の事故に関することには、
カテゴリを「交通事故」という形で分けられるようにしています。
振り返って読みたい奇特な方がいらっしゃるか分かりませんが
よろしければ参考にされてください。

先週息子も無事6歳の誕生日を迎え、額の傷もかなり薄くなり、
元気いっぱいに走り回っています。

昨日のアースデイでは、エコ雑貨協同組合や出店者さんにも
知り合いが多く、息子の事故を心配してくださった方も多かったので、
元気な姿をみてもらいたくて、夫と息子に午後から来てもらい、
私のリップクリームのWSにも参加してもらいました。

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すべての皆様にご挨拶はできませんでしたが、
それでも気が付いて声をかけてくださった方や、息子とハグしてくれた方など
沢山いらして、息子も嬉しそうでした。

時期的なものもあるかもしれませんが、あの事故から息子は
ぐんと成長したと感じることが多々あります。

今回も、夫と一緒に来た息子を敢えて一人で参加させていたので、
私は講師をしつつ、実はちょっとハラハラしていましたが、
結構ちゃんとリップクリームを完成させていました。

ck.jpg

あ、肩にはむっちゃ力、はいってます(笑)。

本当はもう少し振り返りたかったのですが、昨日今日のことで終わってしまいました。
これから少しずつ振り返り記事も書いていきます。
まぁのんびりお付き合いください。

伊那の廃材を使ったKEESプロジェクトブースにて。

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必死に家を作っていました♪

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改めてお礼♡

ぽかぽか陽気の今日。息子の経過観察の通院。
ひとまず完了。。。事故から1か月余り、傷の赤みは今が一番
目立つ時期だそうで、これからケロイド化しない限りは薄くなっていくそう。

病院に居る際に、先日きらきらラビリンス主催の友人のMIMYちゃんのお声掛けで
皆さまの祈りが集中して届いた瞬間のなんともいえない体の温かさ、そのときの
感じがリアルに思い出され、なんとも幸せな気分に。

梅の花がほころぶ景色を眺めつつ、この季節が嬉しい季節のままで
本当によかったと感じます。
そんなこんなでようやく、息子が退院した前後にみなさまからいただいた
温かいメッセージに気持ちばかりですが返信をさせていただいています。

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皆様の想いがさまざまな形で私たち家族を救ってくださっていること、
本当にありがたく、ブログの場でなんですが、あらためて御礼させていただきます。

事故を通じて感じた、実践した様々なこと、そろそろ少しまとめておこうかと
思います。よろしければまた、お付き合いくださいませ。

今日はまずは、皆様に御礼まで。

ありがとうございます。

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