
昨日に続いて少し振り返りを。
事故現場に居合わせた夫と、駆けつけた園長先生とが乗り合わせ、
息子は救急車で小児救急では有名な病院に搬送されました。
銀座松屋から電車とタクシーで病院に私が駆け付けたときは、
おそらく1時間以上たってからだと思います。
地元の駅まで戻り、タクシーに乗るために、改札を出た私、
タクシーを拾うところと逆の方向に歩いてしまいました。
ふと気づいて引き返そうとしたそのとき、パトカーの光が目に入りました。
まさに息子の事故の現場検証中。。。挨拶するわけにもいかず、
ちらりと横目で状況をみてすぐに引き返しましたが、
そのときも「大丈夫」と心に言い聞かせていました。
病院の救急病棟にたどり着いた時、
携帯電話で状況の連絡を取ってくれている園長先生、
そして憔悴した夫の姿。
「ぜったい大丈夫だから」となぜか言う私。
息子は緊急処置とCTを撮り、まだ処置中で姿はありません。
CTではほぼ問題ないだろうということで、
とにかく脳と内臓のダメージを心配していた私は少し落ち着きましたが、
遠い昔交通事故で数日後に亡くなった友人を思い出し、まだまだ不安。
意識はずっとあるということで恐怖によるダメージも相当なものと予想していました。
しばらくして少し落ち着いた夫から、
「CTの造影剤のサインは緊急だからしたけど、破傷風は待ってもらってるよ」と
云われました。
そうか、破傷風。。。主に外傷、ということでまず破傷風のワクチンを打ってください、
とのことだったようです。
以前も何かのときに書いたと思いますが、
現在のところ息子はワクチンは受けないという選択をしています。
もちろん賛否両論あると思いますし、私自身も絶対受けないというより、
今は受けないというスタンスでここまで来ています。
よくワクチンに関しては個別にご相談を受けることがあるのですが、
その際も「答えは私はわからないし、うけるかうけないかというよりも、
親たちがどういう考えでいるか、納得しているか、そのスタンスをきちんと
話し合うことが大事なのでは」とお伝えしています。
私自身も悩んだ時期もありましたし、あまり頑なになるのも、と思う時もありました。
ただ、今、事故で肝臓や腎臓がダメージを受けているこの状況で
ワクチンは受けさせたくない、というのがその時の気持ち、
一応夫にもそれを伝えたところ、同じ考えだということでした。
もしもこれが海外や見知らぬ土地だったら別の結論を出していたかもしれません。
ただ、いつも転げまわったり、時には口に入ることもある土、
私自身の中には迷いはありませんでした。
まだ息子に会えないまま、医師からのお話、破傷風についての説明、
危険性、最悪の場合の話を夫婦でじっと聴くことになり
内臓のダメージがまだ未知数な時にこの選択をしなければならなかった
この時間は、かなり試練の時でした。
救急措置をしてくださった外科医の方とぶつかるのも不本意で、
説明することは医師としての責務でもあるのです。
それでもやはり、私たちは接種を拒否しました。
この時、夫がきっぱりと言ってくれた言葉を、私は今でもはっきり覚えています。
目の前で我が子がひかれた、この状況で、よく言ったと密かに私は
心の中で感動していました。
同時に、夫の精神的なケアもかなり必要になるなと覚悟をしました。
救急医の方もかなり不満そうではありましたが、結果的には
「何があっても病院や医師を訴えない」という確認書を作成して、
私たちはそこにサインをしました。
車いすに点滴をつけた状態で息子が現れました。
たぶん、何かを話したと思いますが、そこは私は覚えていません。
無事に話をしている姿と、包帯でぐるぐる巻きになった頭の下の傷が
どんな状態なのか、そんな複雑な気持ちでいっぱいでした。
ところが看護士さんに付き添われベッドに向かった息子、
手を洗うことを促され、それを手伝ってくれた看護士さんが
濡れた手で息子にさわろうとしたそのとき、
「ちゃんと手を拭いてから触ってね。冷たいから。」
そう息子が看護士さんにやさしくいいました。
この状況で看護士さんにつっこみをいれている、ある意味
息子らしい姿がそこにありました。
そしてベッドに入った後も、その時期にブームだった、反対言葉を言ったり
しているのをみて、どうやら頭を打ってはいるけれど、
傷は外側に行ったようだと感じました。
息子の姿が見えるまで、園長先生はずっとそばにいてくれて、
以前記事に書いたような、今でも私がよく思い出す言葉の数々を
かけてくれました。
それだけで私たちはどれだけ救われたか、と思っていたのですが、
この時点で息子が、ここに書いたような会話ができるくらい、
かなり自分を取り戻していたのは、実はこれも園長先生のプロフェッショナル
ならではの対応があったからだというのは、私はつい最近気が付きました。
その話はまた後日。。。
ただ、CTに問題はないけれど血尿と肝臓の数値が異常だという事実も
訊かされました。
そのためしばらく入院ということが決定し、入院手続きをしつつ、
夫と交代で一度家に戻り、必要なものを用意することになりました。
この状況をどうみるか、
肝臓と腎臓については、もしかしたら後遺症が残るかも、
かなりシビアな状況も考慮しなくてはならないと思いました。
もちろん私は医師ではありませんが、
頭の中にはやはり、家に帰ったらあれとあれを用意して。。。と
具体的な精油とハーブの種類をかなり考えていました。
同時に、この状況を伝え、冷静にアドバイスをもらえる
信頼している植物療法の先生や仲間たちに連絡をしました。
幸いにもその後明け方に私が家に帰るまでに、返信をくださったので
私も少し客観的に考えることができました。
こういう状況ではありましたが、入院が決まり、
スーツ姿の夫が先に着替えに帰ることになったとき、私は夫に
ご飯を精米して洗ってつけておいて、とお願いしました。
精米して水に浸けておいてくれたら、私が交代して帰って、
土鍋で炊き上げ、おにぎりを作って持ってくることができる、そう考えたからです。
銀座の松屋でお昼休憩でランチを食べてから、何も食べていません。
夫もおそらく同じ状況だったでしょう。
帰りにコンビニに寄ることはできても、そこで食べる食事が、空腹を満たせても
ダメージを受けている私たちを救うとは思えませんでした。
まぁ、そこまで考えられるくらい状況が落ち着いていた、ということでも
ありますが、ここからの長丁場、私たちが何を食べて乗り切るか、
私の意識は、結構そちらにも向いていた気がします。
今日はこんなところで。。。数回位で振り返ろうと思っていたら
ずいぶんと長く。。。まぁ私の記録でもあるので、読んでくれている人がいたら
ごめんなさい。
写真は、トトラボでとってきたハナダイコンの花びらの色素を
今日、息子が、お酢と重曹で三色にしたもの。
記事とはなんら関係ありません。。。(笑)

事故現場に居合わせた夫と、駆けつけた園長先生とが乗り合わせ、
息子は救急車で小児救急では有名な病院に搬送されました。
銀座松屋から電車とタクシーで病院に私が駆け付けたときは、
おそらく1時間以上たってからだと思います。
地元の駅まで戻り、タクシーに乗るために、改札を出た私、
タクシーを拾うところと逆の方向に歩いてしまいました。
ふと気づいて引き返そうとしたそのとき、パトカーの光が目に入りました。
まさに息子の事故の現場検証中。。。挨拶するわけにもいかず、
ちらりと横目で状況をみてすぐに引き返しましたが、
そのときも「大丈夫」と心に言い聞かせていました。
病院の救急病棟にたどり着いた時、
携帯電話で状況の連絡を取ってくれている園長先生、
そして憔悴した夫の姿。
「ぜったい大丈夫だから」となぜか言う私。
息子は緊急処置とCTを撮り、まだ処置中で姿はありません。
CTではほぼ問題ないだろうということで、
とにかく脳と内臓のダメージを心配していた私は少し落ち着きましたが、
遠い昔交通事故で数日後に亡くなった友人を思い出し、まだまだ不安。
意識はずっとあるということで恐怖によるダメージも相当なものと予想していました。
しばらくして少し落ち着いた夫から、
「CTの造影剤のサインは緊急だからしたけど、破傷風は待ってもらってるよ」と
云われました。
そうか、破傷風。。。主に外傷、ということでまず破傷風のワクチンを打ってください、
とのことだったようです。
以前も何かのときに書いたと思いますが、
現在のところ息子はワクチンは受けないという選択をしています。
もちろん賛否両論あると思いますし、私自身も絶対受けないというより、
今は受けないというスタンスでここまで来ています。
よくワクチンに関しては個別にご相談を受けることがあるのですが、
その際も「答えは私はわからないし、うけるかうけないかというよりも、
親たちがどういう考えでいるか、納得しているか、そのスタンスをきちんと
話し合うことが大事なのでは」とお伝えしています。
私自身も悩んだ時期もありましたし、あまり頑なになるのも、と思う時もありました。
ただ、今、事故で肝臓や腎臓がダメージを受けているこの状況で
ワクチンは受けさせたくない、というのがその時の気持ち、
一応夫にもそれを伝えたところ、同じ考えだということでした。
もしもこれが海外や見知らぬ土地だったら別の結論を出していたかもしれません。
ただ、いつも転げまわったり、時には口に入ることもある土、
私自身の中には迷いはありませんでした。
まだ息子に会えないまま、医師からのお話、破傷風についての説明、
危険性、最悪の場合の話を夫婦でじっと聴くことになり
内臓のダメージがまだ未知数な時にこの選択をしなければならなかった
この時間は、かなり試練の時でした。
救急措置をしてくださった外科医の方とぶつかるのも不本意で、
説明することは医師としての責務でもあるのです。
それでもやはり、私たちは接種を拒否しました。
この時、夫がきっぱりと言ってくれた言葉を、私は今でもはっきり覚えています。
目の前で我が子がひかれた、この状況で、よく言ったと密かに私は
心の中で感動していました。
同時に、夫の精神的なケアもかなり必要になるなと覚悟をしました。
救急医の方もかなり不満そうではありましたが、結果的には
「何があっても病院や医師を訴えない」という確認書を作成して、
私たちはそこにサインをしました。
車いすに点滴をつけた状態で息子が現れました。
たぶん、何かを話したと思いますが、そこは私は覚えていません。
無事に話をしている姿と、包帯でぐるぐる巻きになった頭の下の傷が
どんな状態なのか、そんな複雑な気持ちでいっぱいでした。
ところが看護士さんに付き添われベッドに向かった息子、
手を洗うことを促され、それを手伝ってくれた看護士さんが
濡れた手で息子にさわろうとしたそのとき、
「ちゃんと手を拭いてから触ってね。冷たいから。」
そう息子が看護士さんにやさしくいいました。
この状況で看護士さんにつっこみをいれている、ある意味
息子らしい姿がそこにありました。
そしてベッドに入った後も、その時期にブームだった、反対言葉を言ったり
しているのをみて、どうやら頭を打ってはいるけれど、
傷は外側に行ったようだと感じました。
息子の姿が見えるまで、園長先生はずっとそばにいてくれて、
以前記事に書いたような、今でも私がよく思い出す言葉の数々を
かけてくれました。
それだけで私たちはどれだけ救われたか、と思っていたのですが、
この時点で息子が、ここに書いたような会話ができるくらい、
かなり自分を取り戻していたのは、実はこれも園長先生のプロフェッショナル
ならではの対応があったからだというのは、私はつい最近気が付きました。
その話はまた後日。。。
ただ、CTに問題はないけれど血尿と肝臓の数値が異常だという事実も
訊かされました。
そのためしばらく入院ということが決定し、入院手続きをしつつ、
夫と交代で一度家に戻り、必要なものを用意することになりました。
この状況をどうみるか、
肝臓と腎臓については、もしかしたら後遺症が残るかも、
かなりシビアな状況も考慮しなくてはならないと思いました。
もちろん私は医師ではありませんが、
頭の中にはやはり、家に帰ったらあれとあれを用意して。。。と
具体的な精油とハーブの種類をかなり考えていました。
同時に、この状況を伝え、冷静にアドバイスをもらえる
信頼している植物療法の先生や仲間たちに連絡をしました。
幸いにもその後明け方に私が家に帰るまでに、返信をくださったので
私も少し客観的に考えることができました。
こういう状況ではありましたが、入院が決まり、
スーツ姿の夫が先に着替えに帰ることになったとき、私は夫に
ご飯を精米して洗ってつけておいて、とお願いしました。
精米して水に浸けておいてくれたら、私が交代して帰って、
土鍋で炊き上げ、おにぎりを作って持ってくることができる、そう考えたからです。
銀座の松屋でお昼休憩でランチを食べてから、何も食べていません。
夫もおそらく同じ状況だったでしょう。
帰りにコンビニに寄ることはできても、そこで食べる食事が、空腹を満たせても
ダメージを受けている私たちを救うとは思えませんでした。
まぁ、そこまで考えられるくらい状況が落ち着いていた、ということでも
ありますが、ここからの長丁場、私たちが何を食べて乗り切るか、
私の意識は、結構そちらにも向いていた気がします。
今日はこんなところで。。。数回位で振り返ろうと思っていたら
ずいぶんと長く。。。まぁ私の記録でもあるので、読んでくれている人がいたら
ごめんなさい。
写真は、トトラボでとってきたハナダイコンの花びらの色素を
今日、息子が、お酢と重曹で三色にしたもの。
記事とはなんら関係ありません。。。(笑)

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